花井盛彦の日記

HANAIプロダクション・NA花井盛彦手話教室 代表 手話アーティスト

盛彦コラム #34 幼少期 vol.3

オレの両親はろうで、そしてオレもろう。
オレはデフファミリーとして、育った。

近所や、まわりの環境はもちろん聴ばかりだから、
それを見てオレは、聞こえて声で話してることにと不思議と思っていた。

だから小さい頃、幼稚園ぐらいの時には、すごく不思議な感覚があったよ。
他のみんなは、声で会話していたり、電話したり。

テレビでも、
仮面ライダーや刑事物の番組で無線で話しているシーンを見ては、
なんだあれ、カッコイイな~なんて思いながら見てたっけ。

オレ目線で見れば、声で会話していることに不思議だなとおもっていたけど、
逆に向こうから見たら、珍しい不思議だなって、思われていただろうな。

オレのろう学校の友達の両親は、だいたいが聴者で、
同級生をみても、両親もろうっていうのは少ないんだよ。

手で会話する世界にいたオレは、
声で会話するのを見ると、不思議な感覚だったし、
小さい頃は自分とは違うことで、変なのってそう考えていた。

オレの実家は田舎だから、
情報も少なくて、わからないこともたくさんあったよ。
そんな中ですごく感じたのが、
え?聞こえないの?ってヒソヒソ...ジロジロと見られた。

姫路は都会だから、
ろうに対してそこまで、気にもしなかったけど、
田舎だからさ、本当にジロジロ見られたよ。
すごく不快に感じたし、嫌だな...って思っていた。

オレの両親はろうだから、
聴者とのコミュニケーションがとれず、
いつも遠慮して黙っていたから、
他のろう親と話してる時は、楽しそうに見えたよ。

今までさ、オレはデフファミリーなんだって言うと、
「楽だね~、いいね、うらやましいね」と言われてきたよ。

親もろうなら親子間のコミュニケーション方法も手話でスムーズにできるし、
そういうのっていいよ、うらやましいよって言われたよ。

そう言われるイメージもわかるし、
 聴両親とろうの子供は、通じなくて、苦しいなんていう話しはよく聞く話だし、
ろう同士なら、親子間でのコミュニケーションがスムーズだというイメージもわかるよ。

でも、オレの場合は違ったんだよ。

オレの家族は普通とはちょっと違って、手話を認めない家庭だったから、
みんなが思い描くようなイメージとは全然違うんだ。

オレが思うに、田舎だったせいなのか、
父親は誰かに手話は恥、恥ずかしいものだと吹き込まれたのかそう言った考えだったんだ。

だから、外食の際なんかは、
手話はダメ、黙っとけってルールを押し付けられた。

イメージ 1

今、大人になってわかったけど、
父親は、みんなに奇異の目で見られたり、
そういうことで注目されるのが嫌で、恥と思ったんだろう。
それだけじゃなく、
社会の風潮に合わし、社会に出た時に口話が必要なんだって、
誰かにそう言われたのだろう。
それを押し付けられて、オレは本当に嫌だった。

友達みんなは、
自由に手話で話しているのに、何でって?
思いながら、オレは育ったんだ。

だから両親がろうだと、
手話でのコミュニケーションが出来るから羨ましい、というのとは、ちょっと違うんだよ。

田舎だったせいもあるし、理由はいくつかあるんだと思う。

田舎は閉鎖的だし、ろう者と会う機会が少ないという事もあるし、
親戚や近所の目もあるんだよな。

近所の人からも聴こえないことが珍しいのか、
顔をひそめてコソコソと変な目でオレをみた。
子供たちからは、石を投げられた事もあったよ。

他の人たちは外食のとき、
会話しながらの食事が楽しそうなのに、オレの家族は 黙って食べるんだ。

家族で楽しそうに話しているのを見ると羨ましいなと思ったよ。
オレ、喋ってはいけないなんて当時辛かったよ。

幼い頃は、
近所の歳が近い子供達と、山で遊んだりしたけど、
オレは耳が聴こえないから、話の内容はよくわからなかった。

話してることは、オレだけわからなかった。
遊べる楽しさ半分、さみしさ半分な複雑な気持ちだったな。

それこそ、
幼い頃にはミニカーやゲームなどでは遊べるんだけど、
成長するにつれて、言葉でのコミュニケーションが増え、
お互いの関係性も変わってしまうんだよな。

それから、オレはいろんなものを想像したよ。

テレビやアニメは今以上に字幕がなかったから、想像に頼るしかなかった。
聴こえない世界の見方だよ。

いろんなことを経験してきた。
サッカーをやりたくてもオレには聴こえないという壁が立ちはだかった。
なんで、オレは聴こえないのか。

オレは、小さい頃からサッカーが一番だった。
でも、聴こえないからサッカーか出来ないと言われた時はどうしようもないくらい悔しかった。

「聴こえるように産めよ!
オレをろうに産んだのは、お前のせいなんだ!
サッカーできるようにオレを産んでくれよ...。」

母親は、黙っていたよ。
前回にも話したけど、切り替えは早い方だったけど、
明るく振舞ってみたり、落ち込んだり、気持ちは行ったり来たり。

聴こえないからとイジメにもあったし、
それも今ではいろいろな意味があることなんだよな。

いろいろな経験は、人生の勉強だ。

昔は両親に対し、なんでだっていう思いがあった。
不満もたくさんあった。

でも、当時は見えなかった部分も、大人になってみると、
両親にいろいろ助けられたこと、たくさんあるよ。

両親は一生懸命オレを育ててくれて、素晴らしい両親だと思うよ。


今おもえば、それは両親だけの問題ではなく、
聴者からそれが良い事なんだと言われたり、そういう社会の問題が大きいと思う。
情報の問題。それでも今はだいぶ良くなってきたけど、
情報はまだまだ浅いのが現状だし、社会が抱えている問題は、たくさんある。

以前と比べるとかなり良くなってきたけど、
昔は本当に大変な時代で、運転免許取得も今は取れるからな。

昔とは異なるし手話も世の中に普及してきた。
昔は手話はまだまだだったし、
それに比べてかなり浸透してきた。

今のオレがやらなければならないこと、ろうとしての責任は、
一生懸命、手話指導すること。

手話を指導することによって、みんなが手話をしってもらうよう頑張っていきたい。

役に立てればいいなとおもっているよ。

みんな一緒に楽しんで、習得できるような手話講師でいたいと思ってる。
これからもよろしくな。


イメージ 2





イメージ 2

イメージ 3

イメージ 2

イメージ 4