マナマナ横浜手話教室入門(水)クラスの授業 #5 (2015.3~5月期)
5月6日、マナマナ横浜(産経学園)
手話教室入門水曜日クラスの第5回目のレッスンを開催した。
今回のテーマ【手話歌について】
手話歌には、
日本語通りに手話を当てはめたものと、
歌詞の意味を考えて手話にしたものが、あるんだよ。
日本語通りに手話を当てはめた表面上だけの手話歌は、
ろうから見ると、その意味は、非常にわかりにくい。
つまり、日本語と手話は文法が違うし、言語として全くの別物なのに、
曲と歌詞に無理やり合わせることによって、
手話歌は、意味を持たない手話単語の羅列となってしまうんだ。
それから、歌詞特有の比喩表現。
これも、手話歌の意味がわからなくなる要因の1つと言える。
※比喩とは、物事の状態や様子を他の物事にたとえて表すことである。
例えば、『太陽のようにあたたかい心』など、歌詞には比喩表現が多い。
生徒さんに歌詞の1フレーズを書いてもらい、
それを手話にどう変換したらよいか、みんなで相談してもらった。
『僕が生まれたこの広い空
僕はどれくらい 知っているだろう』
そのまま手話単語を当てはめても、伝わる表現にはならないよね。
みんなの手話表現をみると、
僕/生まれた/広い/空/
...って、君は広い空で生まれたの?
って、ことになる。
つまり歌詞の意味を考えることって、すごく難しいんだよ。
聴者だって、本来の歌詞の意味はわからずに、
曲に合わせて、ただなんとなく歌ってたりもするでしょ。
でも、ろうにとっては、曲がない分、
歌詞の意味しか情報がないんだ。
曲での誤魔化しが効かないからこそ、
手話歌は、その歌詞の意味が、
きちんと聴こえない人に、伝わる表現に変えなければならない。
だからそういう背景なども、考えながら、
手話歌は考えなくてはならないんだ。
難しいテーマだよな。
歌詞の特徴として、
曖昧な言い回しや想察させるような歌詞があるよね。
それをきちんと翻訳して表現出来るような手話歌を、
是非考えてみて欲しい。
難しいけど、いい勉強だよ。
好きな歌を、意味が伝わる手話に変換できるか、
今回のテーマ【手話歌について】
手話歌には、
日本語通りに手話を当てはめたものと、
歌詞の意味を考えて手話にしたものが、あるんだよ。
日本語通りに手話を当てはめた表面上だけの手話歌は、
ろうから見ると、その意味は、非常にわかりにくい。
つまり、日本語と手話は文法が違うし、言語として全くの別物なのに、
曲と歌詞に無理やり合わせることによって、
手話歌は、意味を持たない手話単語の羅列となってしまうんだ。
それから、歌詞特有の比喩表現。
これも、手話歌の意味がわからなくなる要因の1つと言える。
※比喩とは、物事の状態や様子を他の物事にたとえて表すことである。
例えば、『太陽のようにあたたかい心』など、歌詞には比喩表現が多い。
生徒さんに歌詞の1フレーズを書いてもらい、
それを手話にどう変換したらよいか、みんなで相談してもらった。
『僕が生まれたこの広い空
僕はどれくらい 知っているだろう』
そのまま手話単語を当てはめても、伝わる表現にはならないよね。
みんなの手話表現をみると、
僕/生まれた/広い/空/
...って、君は広い空で生まれたの?
って、ことになる。
つまり歌詞の意味を考えることって、すごく難しいんだよ。
聴者だって、本来の歌詞の意味はわからずに、
曲に合わせて、ただなんとなく歌ってたりもするでしょ。
でも、ろうにとっては、曲がない分、
歌詞の意味しか情報がないんだ。
曲での誤魔化しが効かないからこそ、
手話歌は、その歌詞の意味が、
きちんと聴こえない人に、伝わる表現に変えなければならない。
だからそういう背景なども、考えながら、
手話歌は考えなくてはならないんだ。
難しいテーマだよな。
歌詞の特徴として、
曖昧な言い回しや想察させるような歌詞があるよね。
それをきちんと翻訳して表現出来るような手話歌を、
是非考えてみて欲しい。
難しいけど、いい勉強だよ。
好きな歌を、意味が伝わる手話に変換できるか、
みんなで考えてみてな。
また次回会おう、お疲れさん。
また次回会おう、お疲れさん。