花井盛彦の日記

HANAIプロダクション・NA花井盛彦手話教室 代表 手話アーティスト

盛彦コラム #25 幼少期 vol.1

オレ、幼少期から今までの「生い立ち」を書いてみようと思う。

みんなも今に至るきっかけや人生の分岐点って、きっと何かしらあるよね。

そんな生い立ちについて、
自分目線で、ろうとしての気持ち、人としての気持ち、自分盛彦としての気持ちなど、
いろいろな見方を通して、綴っていきたいと思ってる。

昔のオレは、ものすごく不真面目で、乱暴でやんちゃだった。

好奇心旺盛で、自由奔放に山の中を走り回り、負けず嫌いで気まぐれで、
中途半端ないい加減な子供時代だった。

気持ちの浮き沈みが激しく、周りのみんなも本当に手を焼いて大変だったと思うよ。

オレは、特にサッカーが好きでさ、
他はいい加減だったけど、サッカーだけは中途半端が嫌で、
誰にも負けたくなくて闘志を燃やしていた。

サッカーになぜ、これほどまで好きでのめり込むのかはわからないけど、
とにかくサッカーが好きでしかたがなかった。

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オレが幼稚園の3-4歳くらいの時かな…

道の草むらあたりにサッカーボールが捨てられていた。
初めて目にしたサッカーボール。

あれは何?って、母親に聞いたら、
あれはサッカーボール、足で蹴るんだよって教えてくれた。

そのボールを蹴ってみると、すごく楽しい気分になった。

サッカーボールとの出会いは、
今でも忘れられないくらいオレにとって衝撃的だったんだ。
人生が、パッと開けたような感覚だった。

ボールを蹴っているだけでも楽しくて、
それからはサッカーに夢中となり、のめり込んでいったんだ。

体育の授業でも、サッカーだけは燃えたよ。
自分のチームが負けるのが嫌で、サッカーに関してだけは熱くなった。

将来はサッカー選手になるのが、オレの夢だったんだ。

でも同級生や先生、両親に、ろうは無理なんだから諦めろって散々言われた。

なんでなんだよ!

オレはまだ低学年と幼かったのに、ろうってだけで夢を持ってはいけないの?

ろうだから無理だと周囲のみんなから言われ続けた。


野球の夢を持ってた同級生は、ろうなんだから無理だって言われても、
「へー、そっか。」と、当たり前のように受け入れ、夢を諦めてた…。

オレ、そんな周りをみていても、夢を諦めるなんて絶対に嫌だった。

なんで諦めなきゃならないのかって、理解なんて出来ない。

ろう学校の中等部や高等部には、サッカー部はなかった。
ろう学校は人数が少ないからさ、
部活は野球、バレーボール、卓球、陸上の4つだけだったんだ。

聴者の中学や高校には、
部活の種類がたくさんあって、その中から好きなのを選べるでしょ。

ろう学校は少人数だから、そこが違うんだよね。

サッカー部のある学校に行きたいってって母親に懇願したけど、
「ろうだから無理」って…。

みんなで寄ってたかって、ろう、ろう、ろう、ろう・・・って。

嫌だやりたい、行きたいの繰り返しで、
とにかくサッカーをやりたいんだって、わがままを言い続けた。

本当に仕方ない子ね…ってみんな呆れててさ、そんな周囲とオレはたくさん衝突してきたよ。

小4の時、無理やりソフトボールをやらされることになった。

それが本当に嫌で、サッカーがやりたくて仕方なかったけど、
自分はまだ非力な子供だったからね、大人のいうことを受け入れるしかなかったよ。

悔しくて本当に悔しくてさ、すごく泣いたよ。

それが人生の最初の分岐点だったのかなと思ってる。

それからのことは、また次回話すよ。


大人になって振り返ってみると、
もしあの時サッカーの道に進んでいたら、オレは今の様に手話講師になっていたのかな?

あの時にサッカーをやらせてもらっていたらなんて…
今となっては想像もつかない事だけどね。

オレは幼少期から、ろうだからといろんな事を認めてもらえず育った。

もし、「ろうだから無理」ではなく、
周りに否定されず、周囲がオレ自身の気持ちを尊重し理解し認めてもらえる環境の中で
育っていたのなら…

いろんな意味で人生は変わっていたのかなぁ…。

ろうだからと全否定される事に反発してきた自分が、
皮肉にもこうして今、手話講師という道を選択したのは、
ある意味、これが宿命だったのかもしれないなと…

ふと、そんな事を考えてみた。


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