花井盛彦の日記

HANAIプロダクション・NA花井盛彦手話教室 代表 手話アーティスト

盛彦コラム #13 補聴器

面接の時などに、決まって言われることがある。
『なんで補聴器つけてないの?聞こえない人って、補聴器つけるんでしょ?』と言われる。

オレからしてみれば、逆になんでそんなこと言うのかなって思うけど。

補聴器つければ、ある程度は聞こえて、電話も会話も出来るようになるって、
勘違いしている人が本当に多いよ。
生まれつきのろうが、補聴器つけたからといって、
『言葉』がはっきりと聞き取れたり、電話や会話ができるようになるわけではないんだ。

オレ、補聴器が大嫌いなんだ。邪魔だし、なんといっても、オレには意味がないからな。

ろう者、中途失聴者、難聴、年寄り…その年代によっても、
補聴器をつけるかつけないか、必要か不必要か、人それぞれ様々だよ。

手話だって、同じだよ。手話が嫌な人もいる、口話がいいという人もいる。
それと同じだよね、人それぞれだ。

オレが通ってたろう学校では、補聴器をつけるというのがルールだった。

聞こえるわけでもないのに、いつも必ずつけてる人もいたよ。
補聴器をつけたからといって、聞こえるわけじゃないけど、心が落ち着くんだって。
逆に、つけると気持ち悪くなるって人もいた。

オレの場合、補聴器は、邪魔だし、つけると落ち着かない。
ま、人それぞれ、いろんな人がいるよね。

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補聴器の進化ってすごいよね。
数十年前の補聴器は大きくて重くてさ、落としたら壊れちゃうし。
だからスポーツの時なんかは、つけないことだよ。本当に不便だった。
今は技術も向上し、ずいぶん小さくて軽くなった。

しかもおしゃれになったよな。カラフルでいろんな色があるし、形もいろいろあるよ。
音の質もよくなってるらしい。
メガネやスマホもそうだよね、どんどん軽く、小さくなって、性能もよくなった。
技術の進化はめざましいものあるよね、本当にすごいよ。

どちらにせよ、オレは補聴器は、いらないけどね。

オレ、小さい頃、嫌なことが多かった…。
例えば、大きな補聴器をしてると、
それだけで健聴者からすごく珍しいらしく、変な目で見られる。

昔の補聴器って、耳にかける部分と本体がコードで繋がっていて、
その本体が胸の部分にあるから、本当に邪魔なんだよ。
それが左右の分、それぞれあるわけだから、かなり重くて本当に邪魔だ。

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そんな補聴器をつけてるから、ろう学校の生徒たちは、まわりからは奇異の目で見られ、
『ロボットみたいだな。ハハハ!』とか『ブラジャーだ!女の子みたいだな、わははは』とか、
からかわれいじめられる。

オレも石を投げられた経験があるよ。

そんなことがあっても、先生や両親たちは、
補聴器つけろ、将来のためだってしつこく言った。
言われれば言われるほど、本当嫌になってくる。

将来のためだというその気持ちもわからないでもないけど、
でも、補聴器つけたからって聞き取れるようになるわけじゃない。

補聴器って、本当嫌いだ。
無理矢理やらされることによって、ますますろう者って嫌だなって思うんだ。

ろう学校ではさ、ラジオの単語などの聞き取りテストもあったんだよ。
オレさ、まったくわからなかった。

中途失聴者や難聴者、またインテグレーションで学んできた生徒たちなどは、
読み取れる人なども多くいた。
でも生まれつき聞こえないろう生徒は、全然わからない人がほとんどだというのが実情。

先生は、そういう事で日々比較し、オレらを否定し続けた。
ろうは本当にダメだなって、よく言われたよ。
ろうの生徒はへこむし、人生不可能なことばかりなのかと…思い込んでしまう人も多かった。
これって一種の洗脳だよな。

先生は『社会に出たときに、補聴器が必要なんだ。健聴は、
手話なんかわからないんだから、手話なんて意味ないんだ。
口話が大事なんだ』といつも言っていた。
それも、一理ある。わからないわけではない。

でもさ……
将来のためだからと言っても、聞こえないものは聞こえないんだ、
わからないんだよ。

授業も手話じゃないから、聞こえない人にとっては、
ほとんどが読み取れなくて、授業内容もわからないんだよ。

ろう学校は、そんな環境だった。

小学校低学年の時、口話を厳しく指導された。
口話や読み取り、発声練習を補聴器つけて訓練するんだよ。
もう本当に苦痛で、ストレスたまったよ、ホント嫌だったな。

それから音楽の授業も辛かった。
音楽の時間は、特にリズムや音を聞き取るために、
補聴器は必ずつけろって言われたよ。
健聴に近づくようにと、本当に厳しかった。

中学時代には、健聴の学校とろう学校とで、合同の音楽交流会があったんだ。
当たり前だけど、その差がありすぎるから、健聴に合わせるため必死で練習した。
健聴の生徒は練習が終わったら帰るんだけど、
オレらは何時間も遅くまで居残って練習させられたっけ。

先生が、ひどい言葉ばかり言うから、恥ずかしいし、へこむろうの生徒も多かったよ。

先生は、補聴器をつければ、健聴者みたいになれるから!
手話を捨てろ、口話にしろ、声を出せってよく言っていたよ。


でも結局、健聴者みたいになんて、ほとんどがなれないんだよ。


先生は手話を使わずに口話をするから、理解できなかったのは、ろうばかりだ。

日本語や文章をより理解するためにも、本当なら手話が必要だったはずなんだよ。

その教育の結果がどうなったのか…
日本語や文章の苦手な生徒が多くなったという事実。

オレ、いろいろなことを見てきたし、いろんな経験してきたよ。


最近、人工内耳手術って、流行ってるよね。
聞こえる両親のほとんどは、子供にこの手術を考えるらしいよな。

健聴が良いって思う気持ちや、イジメが心配だたっり、ろうは不幸にみえるのかな。

でも、必ず成功して聞こえるようになるわけじゃないし、効果なく失敗だって人もいる。

オレ、結婚して子供が生まれたら、自然のままでいい。
それが一番だと思ってる。

オレが言いたいのは、ろうが生まれても、不便や不幸、嫌だ、可哀想だな…とか、
そんなことないよ。
ろうだからって、不幸じゃないし、明るい人だってたくさんいるよ。

手話を知らない人たちの中には、暗いってイメージもっている人いるよね。
そんなことはないよ、明るくて楽しいよ。

明るい人もいれば、暗い人もいる、積極的な人や消極的な人もいる。
ようは本人の性格次第だよな。そして、本人を取り囲む環境も大事だってことだよ。

聞こえる人か聞こえない人か、そういう問題じゃない。
重要なのは人間力だ。

どんなことも、心が強ければ乗り越えられる。工夫して強くなっていくこともできる。

ろう者は不便なこともあるけど、楽しいことだっていっぱいあるよ。
ろうだからって、暗いとか、そういうことじゃない。性格はそれぞれだよね。
聞こえる人だってそうだよ、暗い人もいれば明るい人もいる。性格は一人一人違うよ。
大事なことは、自分次第だ。

手話って面白くて楽しい、魅力的な言語だと思うよ。そして奥が深い。
手話しかできないことも、いっぱいある。

健聴者に、もっと手話を知ってもらいたい。そしてみんなに手話を使って欲しい。

この世のなかに、もっともっと手話が浸透し普及することを願ってるよ。

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