手話レッスン #3
レッスン#1#2で、日本語を頭から捨て、イメージが大切だという話をした。
今回は、その続きを少し話そうと思うよ。
聴者は、手話教室や講習会、サークルなどで学ぶと、
今回は、その続きを少し話そうと思うよ。
聴者は、手話教室や講習会、サークルなどで学ぶと、
その手話単語を、すぐに日本語であてはめようとする。
手話を、日本語の単語の中から、
手話を、日本語の単語の中から、
探そうとするのではなく、本当はイメージが大切なんだよ。
なぜなら、手話の意味は、
なぜなら、手話の意味は、
ひとつの日本語では、表せないたくさんの意味があるからなんだよ。
例えば、「ちょっと」という表現について、
例えば、「ちょっと」という表現について、
日本語での「ちょっと」とは使い方が違う場面もある。
「ちょっとお待ちください」と表現する時には「ちょっと」の意味は合っている。
でも、「タバコ、ちょっとやめてもらえせんか?」の場合は、
「ちょっとお待ちください」と表現する時には「ちょっと」の意味は合っている。
でも、「タバコ、ちょっとやめてもらえせんか?」の場合は、
手話の「ちょっと」は、合わない。
「ちょっと/やめる」というのは、ちょっと止めれば、少しなら良いってこと?
いや、そうじゃないよな。
その場合の意味には、「ちょっと」の表現は、合わないよ。
「ちょっと」という表現は不要、
「タバコ、やめて下さい」とハッキリと表現すること。
つまり「ちょっと」をいれることで、表現が曖昧となり、
ちょっとならOK?
少しなら構わないの?
という意味に受け取られ、ズレが生じる。
他にも、人が「落ちる」という表現について、
「試験に落ちる」という時には、この表現は合わない。
「試験に落ちる」は、
「ちょっと/やめる」というのは、ちょっと止めれば、少しなら良いってこと?
いや、そうじゃないよな。
その場合の意味には、「ちょっと」の表現は、合わないよ。
「ちょっと」という表現は不要、
「タバコ、やめて下さい」とハッキリと表現すること。
つまり「ちょっと」をいれることで、表現が曖昧となり、
ちょっとならOK?
少しなら構わないの?
という意味に受け取られ、ズレが生じる。
他にも、人が「落ちる」という表現について、
「試験に落ちる」という時には、この表現は合わない。
「試験に落ちる」は、
人が落下するの「落ちる」ではなくて、不合格という表現を使った方がよい。
他にも、「技術(腕)が落ちる」も、「落ちる(落下)」表現ではなく、
下降する、衰える、低下するという表現を使うべきだ。
「落ちる」という日本語で、
他にも、「技術(腕)が落ちる」も、「落ちる(落下)」表現ではなく、
下降する、衰える、低下するという表現を使うべきだ。
「落ちる」という日本語で、
その手話を覚えてしまうから、ズレた表現になってしまうんだ。
意味を捉え、イメージで覚えれば、そんな間違いはしないわけだよな。
イメージにあった手話表現を選ぶことは、とても大切なんだよ。
「ポ」も、「得意」とは違う意味を持ち、
なんで/どうやって?/驚き...などと教わることもあるとおもう。
しかし、
意味を捉え、イメージで覚えれば、そんな間違いはしないわけだよな。
イメージにあった手話表現を選ぶことは、とても大切なんだよ。
「ポ」も、「得意」とは違う意味を持ち、
なんで/どうやって?/驚き...などと教わることもあるとおもう。
しかし、
それを日本語に訳し、そのまま覚えるという考え方はやめた方が良い。
日本語にそのまま翻訳出来ない、
日本語にそのまま翻訳出来ない、
言い表せない表現というのも手話にはたくさんある。
単語を覚えるという事がダメなのではなくて、それももちろん大事な事だよ。
ただそれだけじゃなくて、
単語を覚えるという事がダメなのではなくて、それももちろん大事な事だよ。
ただそれだけじゃなくて、
それにプラス、その他にもたくさんの意味があり、
いろいろと幅広い意味があるというのを学ぶことが、大切なんだよ。
日本語を考えすぎないこと、イメージで捉えていこうな。
例えば、通訳を目指している場合も最初はイメージで習得し、
その後通訳のため、日本語に翻訳するという勉強が必要となる。
通訳は、日本語力も重要だからな。
最初はイメージで学んだ後、経験を積み、翻訳力、国語力など習得が必要となる。
それとはまた別として、
日本語を考えすぎないこと、イメージで捉えていこうな。
例えば、通訳を目指している場合も最初はイメージで習得し、
その後通訳のため、日本語に翻訳するという勉強が必要となる。
通訳は、日本語力も重要だからな。
最初はイメージで学んだ後、経験を積み、翻訳力、国語力など習得が必要となる。
それとはまた別として、
手話でのイメージ力は、ろう者とのコミュニケーションにおいて、とても重要だよ。
聴者とろう者の文化も違うので、大切なのは、幅広い対応力が問われるということ。
日本語を頭で考えながら、手を動かすのではなく、
自然にイメージに合う表現ができるように、磨いていこうな。
聴者とろう者の文化も違うので、大切なのは、幅広い対応力が問われるということ。
日本語を頭で考えながら、手を動かすのではなく、
自然にイメージに合う表現ができるように、磨いていこうな。