花井盛彦の日記

HANAIプロダクション・NA花井盛彦手話教室 代表 手話アーティスト

盛彦コラム #21 第一言語は手話

聴者のみんなに、わかってほしいなと思うことがある。

手話とは関係ない環境の聴者のみんなは、
「ろう者は、筆談できるし、本も読めるでしょ」って普通に思ってる。

いや、そうではないんだよ。
みんな誰でも筆談や読み書きが出来るわけじゃない。
ろう者の中でも、それはまちまちなことなんだ。

筆談や本が読めるという事は、
簡単なことや、当然なことではないんだ…
などと言っても、それはなかなかわかってもらえず…

筆談できないの?え、なんで?
と、理解してもらえない。

聴者とろう者では、それぞれ育った環境が違う。

目で見て耳で聞いて情報を得る聴者は、
日本語を聞いたままに読み書きでき、文章をつくれるよな。

目で見ての情報だけの映像としてイメージをとらえるろう者は、
頭の中には日本語はなく、手話なんだよ。

お互いの育った環境が、違うよな。

例えば、手話を学んでいても、
手話がまだまだわからない人や、苦手な人だっているでしょ?
手話を勉強してるからって、手話ができるとは限らない。

手話がまだまだの聴者がいても、
手話は第一言語じゃないから仕方ない当然だね、と理解されるのに、
読み書きが苦手なろう者に対して、
日本語が第一言語じゃないから仕方ない当然だね、
とはなかなか思ってはくれない……

お互いに同じことだと思うのに、そこがなかなか理解されにくいんだよな。

手話が苦手な聴者がいれば、
日本語が苦手なろう者がいるのも、
本当は当たり前のことなんだけどね。

例えば、アメリカ人が英語はペラベラだけど、
日本語の読み書きわからない人も大勢いるよね。

想像してみて、それと同じだよ。

ろう者にとって、手話は大切な言語なんだよ。

ろう者は、行きたい場所があっても限界がある。
聴者は、なんでも自由に選べるよな。
どこへいっても、コミュニケーションできるし、
行ける場所を考えたり選択する必要なんてないもんな。

聞こえないと、手話のあるところしか行けないんだよ。

例えば、カルチャーセンターだって、聴者にはいろんな選択肢ある。
なんだって学びたいものを自由に学ぶことができる。

ろう者は、そうはいかない。
手話がない場所だとコミュニケーションがとれないから、まず無理だよ。

映画だって、洋画なら字幕があるけど、
邦画は字幕ないから、見ることできないんだよ。

時々、邦画やアニメに字幕付きなんていう映画もあるけど、
日にちや時間が決まっいて、見たい時に自由に見に行くことなんてできないんだ。

これからこの社会にもっと手話が広まってくればいいなと、切実に思うよ。

筆談じゃなくて、第一言語の手話が一番いい。

そして、ろう者も聴者と同じように、
たくさんの選択肢があるようになればいいなと望んでる。

選べない環境ではなく、
同じようにいろんなことができる社会になってほしいと思ってる。

コミュニケーションにはやっぱり手話が一番いい。


もっと手話が認知され、みんなが手話に理解をしてくれて、
社会に広まってくれたらいいなと、思ってるよ。

ろうと聴の架け橋になれたらいいな思いながら、
日々オレは手話指導をしているよ。

少しづつでもいいから、手話の輪が広がっていってほしい。


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