花井盛彦の日記

HANAIプロダクション・NA花井盛彦手話教室 代表 手話アーティスト

盛彦コラム #23 手話と口語

時々、生徒さんから「日本語どおりの口形は必要ですか?」ってきかれる。

他の教室で、
手話表現しながらの口形(日本語の全口パク)は必要だと教えられるようで、
生徒さんからそんな質問を受けることも多い。

ろう講師の中でも、
口形(日本語文章での口パク)が必要だと指導している講師がいることも、事実だよ。

では、なぜ日本語での全文口パクが必要かの理由をきいても、その説明が出来ない。
だからこそ、生徒さんは混乱してしまうんだよ。

納得させる説明もせず、日本語口形をつけた手話の指導をするって、
みんなが理解できないのも当然だと思う。

口形(口パク)が必要か不要かは問題じゃなくて……
実際それは無理なんだと思う。

例えば、
「川」を、地面を流れる流水の動き、周りの景色や流れる水の速さスピード感など、
その川の様子や情景をイメージ表現した時、
「かわ」と言う口形だけで、それを補えるだろうか。

口形では「かわ」という2音だけで終わってしまうが、
川の手話表現は、まだ続いている…
結果、口と動きが合ってないということになるよな。

他にも…
山々が連なりそびえ立つ雄大な情景を表現した場合にも、
口形の2音で「やま」とするのでは、表現しきれない。

また、情景をイメージ表現しながら、
それを日本語文章で全文口パクしながら、
映像化した手話表現をする事なんて、無理ということだよ。

それは情景表現のことだけではなく言えることだ。

例えば、「よろしくお願いいたします」と、
大勢にむけて左から右へと 丁寧にゆ~っくりと挨拶をした場合に、
もし手話の動きに合わせた口形(日本語)を付けたなら、
「宜しく/おーねーがーいーいーたーしーまーすーーー」
という変なリズムになってしまうよな。

日本語の間やリズムに、
手話は合わないし、手話にあわせて口形(口パク)をつけるのも、合わないんだよ。

日本語の文法と、手話の文法は違うのに、
日本語をつけることで手話がどうしても日本語寄りになってしまう

つまり口形(口パク)しやすいように、
日本語に合うような手話表現に組み立てされてしまうんだ。

日本語対応手話は、
日本語どおり手話を当てはめてるだけだからそれは可能だけど、
自然な手話文法で表現しながら、
その手話構成と違う順序の日本語構成で話すことなんて不可能だよな。
表現してる手話とは違う日本語を話すって至難だよ。

それぞれが違うリズムや間、文法を持つ言語だからだと生徒さんに説明すると、
「なるほど、本当だね!」と納得してくれる。

口パクが必要か不要か、良いとかどうとかそういう問題ではなく、
日本手話は、独自の美しいリズムや魅力的な情景表現があるから、
無理やり日本語での口形をつけることでその日本手話のリズム、
雰囲気が壊れてしまうんだよ。

つまり、音声や文字・記号を連ねて意味を表す日本語と、
イメージを映像化する手話では、根本が違うんだ。

手話は、単語よりもイメージをつかむ方が大事だよ。
相手に通じる効果が違うし、伝わりやすい。

また口形を読み取ろうと、口元だけに意識が集中してしまうのではなく、
空間全体を見てイメージをつかんで欲しい。

口パクを読み日本語で手話を理解するのではなく、
手話は、手話そのもので理解して欲しい。

イメージをつかむことを習得できれば、聴者、難聴、ろうと誰とでも幅広く通じる。

それには手話力が大事。

手話が曖昧だから、日本語での口パクが必要になるわけでしょ。
日本語に頼るのではなく、手話力をアップさせれば、みんなに通じる表現が必ずできる。

ろう者の中には、読話が得意じゃない人もいるから、
勘違いや間違えてしまうことも実際多くあるんだよ。

日本語口パクに頼るのではなく、手話を見て読み取ることが大事なんだ。
そして、手話を磨いていってな。

これはとても大事だということを、是非頭にいれておいてほしい、よろしくな。


【注釈】
ここでいう口形とは、手話表現しながら
日本語での話し言葉「口語」を付ける「口語での口形」のことを指している。

手話では、固有名詞やあえて口形をつける場合もあり、
また日本手話には特有の口形(マウジング)がある。

ここで書いた「日本語の口パク」と「口形やマウジング」では
意味が違うものだということを理解して欲しくて、補足説明とするよ。


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